ハイチ共和国
カリブ海にうかぶエスパニョーラ島、その西側3分の1を占め、四国の約1.5倍の面積に人口約800万が暮らしています。
1804年、当時世界最強を誇るナポレオン軍を破ってフランスから独立、世界最初の黒人共和国をつくりました。
しかし、その後は独裁、暴動がくりかえされ、政治的不安定と国際的孤立の中、大多数の国民が貧困にあえいでいます。失業者70%、識字率50%前後、しかしアフリカの影響を色濃く残す独自の文化をもち、絵画や音楽の分野ですぐれたアーティストが出ています。
CESLA
−Centre Education Scolaire Lois Aimery –
ハイチ共和国、首都ポルトープランス郊外のボンレポスにあるセスラ学校。ここには公立の小学校に通えない子供たち約400人が学んでいます。公立の学校は、ハイチの子どもたちの1/3しか受け入れられないのです。 学校に行けない子どもたちのために、校長先生のマリクレールは自宅をすべて開放してセスラを開校しました。しかし、苦しい経営が続いています。というのは、子どもたちの親の多くが失業しているため、授業料を払えないのです。
現在のセスラ学校は400人に一つのトイレ、一つの水のみ場、教室も足りず、庭の木陰も教室という状態です。ですから、雨が降ると学校はお休みです。やむなく2部授業を行ったりしています。学校がほしい、教室がほしい、しかしハイチは土地を入手するのが大変困難で、なかなか見通しがたちません。
今回、[ミジカド]で得た収益は、このセスラ学校への支援に用いられます。その成果等は、コンサート終了後このサイトでご報告出来ると思います。
ハイチの会・セスラ
ハイチの会・セスラは、日本におけるセスラ支援団体です。
セスラ学校校長・マリクレール先生とともに、セスラの校舎と寄付の受け皿として学校設立基金を設け、セスラ学校とその子供たちの教育のため日々活動を続けています。
2004年には、ハイチの政情不安もある中、日本からの沢山の寄付品によるコンテナ支援を行いました。また今年2007年には、コーラスグループ「Harmony '84 Japan」のチャリティーコンサートによる寄付や、フォトジャーナリストである佐藤氏の現地での協力により、セスラ学校に発電機の寄付を行いました。
さらに、昨年行われたミジカドの前身であるチャリティーコンサート「PEACE!」では、その収入によってセスラ学校の教師であるイロメン先生の洋裁学校への研修支援をすることができました。
その他詳しい活動内容に関しましては、ハイチの会・セスラのホームページをご覧ください。